制服 ブラウスのエッセンス
「二日後の月曜日、当院の紹介状を持ってH医大の放射線科のほうへ行かれたほうがよい
と思います」
Sさんは「はい」と返事した。
そのほうがよいと先生に言われたら、行くしかないと思った。
それでも患者の妻は最後に、一つだけ聞いた。
「主人の手術は、もう無理ですか」
そのとき、主治医の口から出た冷たい言葉も、Sさんは忘れていない。
「先生は、『おなかを一度開けて、すぐ閉じるだけの手術ならやりましようか』とおっし
やったんです。
この病院は何一つ希望をくださらないんだなと強く感じました」
市立病院の判断は、社会復帰を含めた快復の可能性はほとんどなし、とみなしたうえ、別の病院へ移ってほしいというもの。
要は、治る見込みはないとサジを投げた患者を退院させたかっただけである。
その二十六日の夜も重い気分で床に就き、夜中にふと目覚めた。
まだ午前二時過ぎだったが、一度目が覚めたら夫の身が案じられてもう眠れない。
ふと、Sさんは昼間買ったがん読本のことを思い出した。
その本のページをめくると、進行がん患者に対する最新抗がん剤治療が具体的なケースを交えて紹介され、自分の夫とどこか似たようながん患者のケースもあった。
思わず引き込まれて夜を徹し、最後のページまで一気に読み終えた時、Sさんは、〈この先生にパパを診てもらおう〉と心に決めたのである。
これが同年六月二十七日早朝のことで、夫妻が「命を賭けた決断」へと踏み出す第一歩だった。
同じ日、三十代の主治医が病室に顔を見せるや、Sさんが告げた。
「先生、月曜日からH医大病院へ行くぉ話の件ですが、主人は別の病院で診ていただきたいと思います。
よろしいでしょうか?」
「よろしいですよ、それでは、その先生に紹介状を書きます」
彼女は、転院先を書いたメモ用紙を手渡した。
入院先の主治医が書いた紹介状の内容を見ると、素人目にも予断を許さない病状だ。
「診断名 胃がん 肺に複数の転移のほか、骨転移、左頚部リンパ節への転移が認められる。
本人に対しては進行胃がんと左頚部リンパ節転移とのみ説明した。
家族に対してはすべてを話し、予後が悪いことを伝えた。
そちらでの治療を家族が望んだので紹介する」
主治医に対して転院の希望を申し出たあと、Sさんはハッとした。
自分が伝えた医師の名前は昨夜本で知ったばかりで、その顔も声も知らないことにぱじめて気づいたのだ。
〈急いで東京の病院に電話しないと……〉
大事な本とペンとテレホンカードを持ち、院内の電話ボックスに走る。
その日は日曜日だったのに、幸い、本に書かれた都内の病院のナースとはうまく連絡が取れた。
「主人が末期がんで、なんとか平岩先生に診ていただきたいのです」
「わかりました。
今夜九時過ぎ、先生がTさんのお宅にご連絡されると思います」
午後九時十分、待ちに待った電話が目の前で鳴った。
その相手は「平岩です」と短く名乗ったあと、「明後日、六月二十九日の火曜日、私は昼から都内のH病院におります。
来れますか?」と言ってくれた。
「絶対行きます、ありがとうございます」とSさんは電話の前でお辞儀をした。
命を賭けた決断
六月二十九日の午前六時、入院先のナースが二十四時間点滴の注射針を抜き、T氏は足元をふらつかせながらパジャマを外出着に着替えた。
同じ朝、病院に駆け付けた実兄の運転する車で新大阪駅まで送ってもらい、新幹線のグリーン車内にやっと腰を降ろした。
その窓の向こうに、弟の身を案じる二歳上の兄の心配そうな顔がある。
八時過ぎ、ひかり号が定刻どおりに発車したとき、五十一歳の兄ぱ、新大阪駅の新幹線ホームにずっと立ち尽くし、涙で頬を濡らしていたという。
「あの朝、兄は、おそらく私が死んで帰って来るだろうと覚悟して見送ってくれたようです」
東京までの三時間。
T氏は栄養点滴を外した代わりにポカリスエットとアメ玉を口に含み、ぐったりと目を閉じていた。
がんの転移で左の首元は大きく膨れ上がり、その直径五センチ大の腫瘤がシャツの長い襟でも隠し切れないほどであった。
また、それが腕の神経を強く圧迫し、左手ぱほとんど自由を失っていたのである。
がん末期の症状をいくつも抱えた瀕死の状態で医師一人の付き添いもなく、妻に連れられて入院先を飛び出したT氏は、まさしく「命を賭けた決断」に身を委ねていた。
夫に付き添う妻も不安と緊張のあまり、無言であった。
午前十一時十分過ぎ、東京駅ホームに降り立つと、今度はSさんの兄が八重洲口で二人を待ち受けていた。
その車で約二十分、H病院(千代田区)へとなんとか辿り着けた。
午後一時半、夫妻は連れ立って平岩医師の診察室に入った。
同医師は、T市立病院からの紹介状に目を通したのち、
「ここで全部、読み上げていいですか?」
と言った。
それはすなわち、がん末期の事実を患者本人に包み隠さず教えることを意味
したが、もうSさんには何のためらいもなかった。
「私たち夫婦ぱ、二人で力を合わせて末期がんと闘うために一つの決断をしたのです。
だから、主人もすべてを知って気力を奮い立たせてほしいとただ願っていました」
病名は、進行胃がん。
左鎖骨上リンパ節への転移のほか、骨への転移、肺への転移が数多く認められる……よく通る声で紹介状を読み上げる医師の前で、さすがに患者本人の顔はみるみる青ざめる。
「がんの告知は受けていたので半分はくああ、やっぱり〉と納得する部分もあったけれども、それ以上に強烈なショックを感じました」
だが、がん末期の病状を教える一方で、平岩医師は患者が希望を持って生きられる道筋
を示すことも忘れなかった。
約一時間半、これからの治療法を詳しく説明したあとに、夫妻に向かって聞いた。
「どうされますか?」
「先生の治療を、お願いします」
妻よりも先に、そう言ったのは末期患者の本人でめった。
がんが縮小し手術が可能に
入院翌日の夜から、まず「クロノーテラピー」(七一ページ参照)が五日連続で行われた。
これは、患者一人ひとりの症状に合わせる丁寧なやり方で、各種の抗がん剤と副作用を軽
治らないがんにかかったら減する薬剤を上手に組み合わせる。
とくにT氏の場合、まだ初回治療(五日間)の段階にもかかわらず、三種類の抗がん剤
(「メソトレキセート」と「5‐FU」「アイソボリン」)が驚くべき効果を見せたのである。
まず治療開始二日後、首のシンパ節に見られた直径五センチ大の腫瘤が小さくしぼみはじめ、これで腕の神経への圧迫が消えたため、本人の左腕は自由に動くようになった。
それ以上に嬉しかったのは、胃の巨大な病巣が今回の治療で「百分のI」に縮小、三週間後の手術がいよいよ本決まりになったことだ。
これを言い換えれば、「余命二ヵ月」を宣告され手術できる見込みのなかった末期がん患者だったのが、メスを入れ、半年から一年、二年と命長らえるチャンスを掴んだことになるのだ。
やや専門的な話になるが、手術中に死亡したり、その手術が原因で1ヵ月以内に亡くなることを術中死と呼ぶ。
術中死のリスクを承知で無謀なメスを揮う外科医はまずいない。
大抵の医者は「手術はできません」とか「あきらめなさい」と言い、患者家族は「いい時間」を持つようにする。
それは、がん医療の常識とされている。
しかし、医学的な判断は判断として、もっと生きたい、まだ死ぬわけにはいかないという患者の必死な願いがある。
治ってほしい、一日も長く生きてほしいという家族の強い思いがある。
これに対し、がん治療に当たる医者はどう応えるのか。
そこに患者と医者の微妙な意識のズレが生じ、ある種の感情的対立があとに残りやすい。
そうならないためには、どうすればよいか。
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